測量の歴史
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世界最大の石器建造物(ピラミッド)

エジプト文明は、紀元前2686年頃最初の繁栄期を迎えた。ピラミッド写真
第三王朝のジョセル王が埋葬された「階段ピラミッド」が最古のピラミッドであるが、初めの正方形石造り家形墳墓(マスタバ)をその後に拡張工事を行い、マスタバを重ねて六段とした為、結果として階段ピラミッドになった。第四王朝スネフル王の時代に造られた、二段の塔の形に見えるピラミッドは、側面を二等辺三角形の組み合わせで造った最初の真正ピラミッドである。次王クフは、ギザに高さ148.5m底辺230m斜面角度は51°52、平均2.5tもの石230万個を積み重ねてある、まさに世界最大の石造建造物である。

ピラミッドの四つの面は、正確に東西南北を向いているところから方位の測定がされている。巨大なピラミッドの四方向から傾斜角をもって、天頂で一点に結集するという、一分の狂いも許さない精密な土木工事を成し遂げているところから、想像以上に高度な測定技術が存在した可能性を否定することはできない。そして、エジプトでは古代の測量用器具がいくつか発掘されている。それは、水準測定器・垂直確定器・定規などである。


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日本最古の地図 行基海道図

日本最古の地図
現在まで伝えられている最古の日本全図は聖武天皇の天平14年(742)に行基菩薩が編集した海道図(行基図)であるとされている。
行基は僧侶であって地図の専門家ではない。従って、行基図というのは編集図である。編集図を作成するに当たって基図と考えられるのは「続日本紀」である。僧行基と地図作りとは無縁のようで、その組み合わせは不思議にさえ思える。しかし、この疑問は行基の波乱に富んだ一生を知れば、ほぼ納得がいくのである。行基は天智7年(668)和泉國大鳥郡に生まれ、出家したのは天武10年(682)14歳であった。
「僧尼令」の定めは、僧侶は吉凶を占ったり、妖術、妖言などによる医療行為や、道場を作って多くの民衆を集め、幸不幸を説くなどの布教活動はすべてこれを禁止する。また従わない者は、僧侶の資格を剥奪するとあった。しかし、行基は民衆への布教活動こそが仏の道であると考え、行基を慕って集まった大勢の弟子たちとともに禁を犯して村里に出て法を説くようになった。
行基は、摂津、河内、和泉、山城などの近畿諸国を回り布教のかたわら民衆とともに道路をつくり、橋をかけ、池を掘り、水路を通し、提を築くなどの土木工事に情熱を傾けた。東大寺大仏造建が開始された天平15年(743)行基は弟子や民衆を動員して造建に協力し、その功績により天平17年(745)大僧正に任じられ、その4年後平城左京の菅原寺で82歳の生涯を終えた。

行基の業績の中で特に目につくのが土木工事である。このことが地図作成に直接関係のあったことは容易に想像のつく事であり、必要に応じて工事測量や工事完成後の地籍測量なども頻繁に実施していたに違いない。行基が土木かんがい工事を多く施工した時期が、養老7年(723)の三世一身法の施行と時期が重なっているのは、測量との関連において重要なことである。
三世一身法とは、一種の開懇奨励法で、新しく用水路や用水池を作って開墾した者には、子、孫、曾孫の三世代、また既設のかんがい設備を利用して開墾した者には本人一代限り、その開墾田の保有を認めるというものである。このため、貴族豪族などの土地所有意欲が一挙に表面化し、この前年発表された国費による良田100万町歩の開墾計画も加わり、新田の開発が急速に加速されることになったのである。これは、工事測量を始め地籍調査測量など、一連の測量関連技術の発達を助け、絵図や地図が不可欠のものとして普及することになったと考えてもさして不都合もあるまい。
行基は既存の地図を編集して、仏教図としての形を確立し、行基によって確定された地図の様式は、その後長期にわたり、すべて「行基図」と呼ばれ、悪鬼・悪疫を払い国の安全を祈る儀式に用いられた。


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測量の歴史年表 
                                ※日本の年表は字で表示
西暦
BC








AD


2000

1300 
580-550
500-300
450
195


50
50
150

609

645
646


702
708
742

784
793

900
1190
1471


1589
1595

1597

1600


1605

1608
1613


1617
1631

1643
1649
1657
1717
1744
1797


1799

1800

1832
1839
1851


1870
1872
1873
1874

1875
1890

1891
1901

1949


エジプトの「ピラミッド」水準測量
中国で夏王禹が黄河の治水に成功した
世界最古の地図(エジプト)
ピタゴラスの「三平方の定理」
九章算術の成文化(中国)
ヘロドトスがヨーロッパから印度に至る範囲の世界地図を作る
エラトステネスの地球の弧長測量
ギリシャのヒッパルコスが三角法を創案
また1年を365日5時5分12秒と算定した
シーザはローマ全域に地籍測量

ヘロンが面積測定に関するヘロンの公式を開発した
トレミー図法の世界図作成

小野妹子隋から帰国した。測量技術伝来の時期をこの頃とする説が多数である
大化改新の班田収受の法
改新の詔(公地公民の宣言)発せられる。班田収授法を行い、租庸調を課す。駅伝の制を定む。詔の第三項に、田は長さ30歩、広さ12歩を段とする。10段を町とする、との測定基準が示された。

初めて大宝律令が天下に頌布された。条里制が施行される
平城京造営の詔が発せられ平城京の造営が開始された
行基菩薩が行基図(街道図)を編集した。現存する最古の日本全図といられている
長岡京造営に着手し、造営途上の新都に遷都された
平安京予定地の用地を取得し、新都の造営に着工

三角関数と三角法の完成
支那船で「羅針盤」使用
ドイツのレギオモンタヌスがギリシアの古典を翻訳して、平面・球面三角法をほぼ今日の形に完成
豊臣秀吉の全国倹地(地籍測量)
「文禄絵図」日本全図作成

フランス人フィリップ・ダントリーがプレトリウスの測板を使用して平板測量法を確立した
ギルパードの地磁気の理論
第一次の国絵図「慶長國絵圖」が作成された
ガレリオの天体望遠鏡
長崎とマカオで月蝕による経度の同時測量が行われた。イタリア人ジュリオ・アレニイとユレマンがマカオで、カルロ・スピノラが長崎で観測を主宰した。この時の観測結果は、マカオの経度が111度37分19秒であった。これがわが国における経度測定の創始である
スネリウスの三角測量方式
バーニヤの副尺読解手法

樋口伝衛門の「規矩術」
幕府の「検地の制」制定
「正保古国絵図」を完成
徳川吉宗「尺の統一」1尺=0,303m
徳川吉宗が江戸神田佐久間町に天文台を開設した
平野昌博が測地のために三角測量法を利用することを説いた『蠻法町見術』を刊行した

フランス外務大臣タレーランにより国際統一「メートル法」が採用
伊能忠敬が全国測量にたち17年間にわたり1817年に「大日本沿海実測図」を作成
シーボルトは「NIPPON」を刊行し、伊能忠敬の国際的評価を高める
フランス人による「写真術」の発明
フランス陸軍中佐ロセダーがメトロフォトグラフィーを開発した。ロセダーは「写真測量の父」と呼ばれ、写真測量の嚆矢とされている

イギリス人による「東京横浜間」鉄道建設のため測量実施
東京の5000分の1測量実施
アメリカ人のもと北海道内の測量
わが国陸軍はフランス式測量の指導を受ける

パリーで「メートル原器」を採用
陸地測量標条令」が公布、正式測図の縮尺5万分の1とする。帝国図の縮尺20万分の1とする
水準原点完成。その標高を24・500bと決定(東京永田町参謀本部構内)

ドイツのC・プルフリッヒがステレオコンパレーターを開発、カルパンチエが偏歪修正機を開発、カールツァイス社によって製作された
(昭和24年)「測量法の公布」

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東名測建株式会社
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